足らへんかったらどうしよ

「ごはんの量どうされますか?」

ごはん屋さんでこれを聞かれたときわたしはいつも、悪いことをしてるのがバレたときみたいな気持ちになる。

 

「普通で、普通で、普通で、」

 

心ん中で何回も唱えながらも、なぜか口から出るのは

「普通…よりも、ちょーっとだけ多くしてもらえます?」

っていうしょうもない言葉。

 

事前に食券買うタイプのラーメン屋でも、「おつり」を押す前にやっぱり「白ごはん(小)」を押してしまうし、親子丼を食べるつもりで入ったなか卯でも、なぜか「うどん(小)」がついてくるセットにしてしまってたこともある。

 

ごはん屋さんでごはんを頼むとき、わたしの頭の中でいつも鳴ってる言葉がある。

 

「足らへんかったらどうしよ」

 

足らへんかったら、足らへんかったときに足りる分だけ頼めばいい。

 

足らへんかったら、帰りにコンビニとかでちょっとしたお菓子とか買えばいい。ただそれだけの話。

 

「足らへんかったらどうしよ」?

どうしよ?

 

そう、足らへんかったところで、どうしようもクソもないのである。実際に足らんくて困ったことなんて何一つ無いくせに、まるでトラウマがあるかのように毎度思ってしまう。

 

「足らへんかったらどうしよ」

 

伝えておくと、そんな心配をするような大食いって訳でもない。20代後半女性の平均量、なんなら日によっては比べて少食なくらい。

 

実際に、ごはん屋さんでごはんが足りひんかったことなんて、今までたった一度もない。

自分の腹の具合なんか1番自分がわかってるくせに、「写真で見る限り、なんか少なそうやな。」「この値段は安すぎるから量が少ないんかもせん。」なんて被害妄想を膨らませて、やっぱりラーメンにはご飯をつけてしまうし、なか卯ではセットにしてしまうし、パスタにはパンをつけてしまって、結果はち切れそうなお腹をなでながらウップウップと店を出る。

 

アホです。

アホなんです。

人はみな、アホなんです。

 

わかっておきながら、わたしは今日も

 

「足りひんかったらどうしよ」

 

なんてことを思いながら、千葉のサイゼリヤでパスタとアスパラの温サラダでお腹を満たした後、「ホテルに戻ったらお腹空くかもしらへん」と、最後にフレンチトーストを頼んでお腹がはち切れそうになってる。

 

明日はロッキンジャパン。持ち時間は40分。

 

足らへんかったらどうしよ。